東日本大震災 消防活動の記録

 気仙沼・本吉地域広域行政事務組合消防本部では平成24年9月に『東日本大震災 消防活動の記録』を発行しました。

【内容】
  第1部 東日本大震災の概要
     第1章 位置及び管内情勢
     第2章 地震・津波の歴史
     第3章 地震・津波の概要
     第4章 消防機関の対応
     第5章 各署所の活動
     第6章 消防応援活動の状況
  第2部 災害現場から(職員手記)

※ なお,PDFファイルと冊子では,著作権の関係で一部表示できない部分が含まれるため,異なることを予めご了承ください。

第36回全国消防職員意見発表(特別発表)

平成25年6月26日(水)福岡県北九州市で「第36回全国・消防職員意見発表会」が開催され、気仙沼・本吉地域広域行政事務組合消防本部職員が東日本大震災被災地本部意見発表として特別発表を行いました。


【消防職員の心理】

平成23年3月11日,巨大地震と大津波により市内各地から黒煙と火柱が立ち上がり爆発音が耳をつんざき,不安や恐怖と戦いながら過酷な消防活動をしている時でした。10名の同僚の行方不明の情報が入ってきました。その現実を受け入れることを私はできませんでした。悔しさと絶望感の中,頭の中を整理することだけで精一杯だったことが,今でも鮮明に思い出されます。

続きを読む

南三陸消防署では署内で活動していた消防職員と,付近国道で避難誘導に当たっていたと思われる消防職員8名が亡くなりました。南三陸町防災対策庁舎に設置された災害対策本部に出向していた消防職員1名は,津波襲来に伴い屋上に退避したと思われますが,そこで命を失いました。気仙沼市本吉町で一人暮らし高齢者防火訪問を行っていた消防職員1名は訪問先の高齢者とともに水道事業所に退避しましたが,屋根を超える津波が押し寄せ命を失いました。いずれの場所も宮城県第3次津波の想定であれば安全と思われる場所でした。殉じた同僚との思い出は沢山あります。新米の私に消防のいろはを教えてくれた先輩がいました。悩み苦しんでいた時,背中をたたいてくれた先輩がいました。道に迷ったとき,進む先を教えてくれた上司がいました。一緒に大笑いをしながら飲み明かした仲間がいました。これからが楽しみな若者がいました。私にはいまだに信じられません。ふと,あの人たちが帰ってくるような気がしてならないのです。

発災からおよそ7か月後の10月12日,学識経験者を交えた「消防職員の津波被災事故検証再発防止委員会」が発足しました。約4か月間にわたる検証の末,平成24年2月に結果が全国に発信されました。その報告書の中で,消防職員は心理的に職責を全うしようという使命感から,危機を感じにくくなること,他の人々が避難誘導している中,先に避難する訳にはいかないという義務感から,撤退が遅れがちになることなどについて考察がなされています。

今般,南海トラフ地震においては想定の考え方が最悪を想定されたものに一新されました。これを受け,関連消防機関では地震津波活動計画等の見直しが検討されることと思います。そういった中,先に述べた消防職員の心理を理解した上での退避を基本としたルール作りが必要ではないのでしょうか。津波発生時の消防活動は急性期の活動にとどまらず,その後もあらゆる災害が長期にわたり発生し,長期間の活動が余儀なくされます。消防職員が犠牲になるということはこれらの活動にも大きな影響を与えることは間違いありません。何より仲間を失うことによる悲壮感は他の消防職員にも心理的に大きなダメージを与えることでしょう。津波に対する住民指導については,自宅等の戻ることなくそれぞれが最も近い高台にいち早く逃げることを事前に決めておく,すなわち三陸地方に伝承されている「津波てんでんこ」の考え方を踏襲した指導を行うとともに,早期の情報伝達による住民避難を促進していく,その上で消防職員という人材を守るための組織を挙げた取り組みが必要であると提言いたします。

あれから2年,被災消防本部が受けた大きな傷は未だに癒えません。しかし,災害は待ってはくれません。いつまた自然が猛威を振るうかは誰もわからないのです。私が皆さんに伝えなければならないこと,それはどうか命を大切にしてほしい。どうか殉じないでほしい,これに尽きると思います。そしてこのことを訴えていくことこそが,残された私たちの使命なのです。

東日本大震災の記録と津波の災害史

リアス・アーク美術館1F常設展示において、東日本大震災の様々な震災資料を鑑賞する事ができます。

※左の画像からリアス・アーク美術館常設展示の解説ページに移動する事が出来ます。